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カテゴリ:illustration( 18 )

ある日の学校

今日は何年かぶりに上野毛にある母校に行って来ました。

昨年は連れ歩くのが大変だった子供も今は多少自分で歩いているし、子供向けのイベントもあるようだし、と毎年行われているガーデン同窓会というものに、急に参加をしてみたくなったのです。

親子3人で歩く校内はなんだか不思議です。休日のアトリエはひっそりと静まり返っています。
絵の具や油の匂い。まだ何も描かれていない真新しいキャンバス。エントランスには、つい今しがたまで誰かが座っていたような、描きかけのパネルが作業中のまま無造作に置かれていました。

娘は演劇学科の無国籍ミュージックパフォーマンス(勝手に命名)が気に入ったようで、練習も本番も熱心に見ていました。
子供向けにペイントのイベントもありましたが、子供が眠くなってしまい断念。

久しぶりに恩師にご挨拶出来たしよかった。
たまには学校を訪ねるのもいいものだなぁとしみじみした休日なのでした。
(写真は後日アップします)
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by kayos_handmade | 2011-10-02 15:55 | illustration

好きなモノたち

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夏休みを経て、このところの涼しさからスイッチを切り替えるつもりで
秋に向けて大きめの絵を描くことにしました。
サイズはB2(515×728mm)です。
このところテンションが続かないこともあって、大きい絵を1年近く描くことが無かったのですが、急に思い立ったのでまずは下地から。
白い下地剤を黙々と塗る。この最初の作業がとても好きなのです。そう、ただ黙々と。
どこから描き始めようか、あれこれ考えながらついでに小さなサイズも2つずつ。
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私が作るもののうち半分は実用品ではありません。
特にこうした大きな絵。
飾られなければ何の役にも立たないし、人からは、どれほどのお金になるのか?という問いも時々あります。
気持ちに余裕が無ければ絵を飾ろうとは思わないだろうし、必要の無いものかもしれない。
それでもその絵を見た誰かの心に何か小さなスイッチのようなモノが入るといいなと思っています。

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下地を施したパネルには塗った時に刷毛の後や小さなゴミ(下地剤の固まりなど)が付くことがあります。
前は細かい筆で滑らかな表面に仕上げるのが好きだったけれど、今回は刷毛後や付いたゴミなども表情の一つと思って生かしてみようかな。
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by kayos_handmade | 2011-08-23 13:39 | illustration

ひさしぶりに

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今日で3月も終わります。
今月は本当に色々なことがありました。
あり過ぎてここに書き綴ることができずにいました。何も手につかず集中もできず。いや、怠っていたのかも。人が一生懸命作り出したものが瞬く間に破壊されてしまう。その自然の前に無力な自分はただ、いじけていたのかもしれません。
私がやるべきこと、それは創ること。それは巨大エネルギーを直接供給するようなことではなく、誰かの心にちいさな灯りがともるような、そんなこと。

来週火曜から仙川にあるniwa-coyaさんで一筆箋、ひとこと箋を置いていただくことになりました。
ちょっとでも被災地の役に立てば、と考えています。
お近くへお越しの際は是非お寄りください。

「東北関東大震災被災地応援企画」
4月5日(火)より24日(日)まで
niwa-coya

京王線:仙川駅より徒歩7分、P有
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by kayos_handmade | 2011-03-31 10:48 | illustration

ちいさな世界

先日カフェに展示していただいたイラストを
前回のブログに載せたのですが
写真があまり巧く撮れていなかったな、と後悔。
改めて撮り直したのですが、やはり携帯のカメラではこれが限界?
かなりぼんやりしてしまいました・・。

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きちんと写真を撮る努力は必須だなと痛感しました。
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by kayos_handmade | 2010-12-21 13:56 | illustration

カフェスペース

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午前中よいお天気でしたが外はやはり冬、寒かったです。
今日は友人が一日限りのカフェを渋谷で開催、そこの壁面やあちこちのスペースを借りて、ポストカードやクリスマスカードの販売と絵を数枚展示して貰いました。
写真は少し暗くて見えづらいのですが、店内の展示の様子です。
子連れで納品に行ったので、写真をたくさん取らずに帰ってきてしまい、残念だったのですが、頂いた彼女手作りの豆乳のシチュー&パン、そしてケーキはとても美味しかったです!
来年の個展のイメージを頭に描きながら、過ごした一日でした。
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by kayos_handmade | 2010-12-19 15:25 | illustration

楽しみに待つということ

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19日に渋谷で行われるイベントカフェに置いて戴く飾りを作りながらいろいろと考えていました。
いつ頃から「何かの日」を心待ちにするようになったんだろうか。
それは両親や兄弟、親しい友人の誕生日だったり、ハロウィン、クリスマス、冬至や節分、カレンダーにある季節ごとの様々な祭事。
日頃お世話になったり、仲良くしている人に感謝の気持ちを伝えたい。また、季節の節目を感じるのが大好き、というのも理由の一つです。
今年は子供と一緒にクリスマスツリーを飾りました。それがどんな日なのか。どういう意味があるのか。そんな疑問持つくらい大きくなる日を心待ちにしながら。
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by kayos_handmade | 2010-12-06 12:03 | illustration

手仕事はじめ

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何かを作るようになったのはいつからだろう、とふと今日考えてみました。

小学生の時に夏休みに出た工作の宿題(自由課題)で鳥かごを作ったのですが、手伝ってもらうつもりがほとんど父が作業をしてしまい、電動ドリルを使った10mm間隔の穴に通された桟はあまりに正確過ぎて正直困ってしまったのを覚えています。
絵の宿題は自分で描いていましたがいつもぎりぎりにならないと始めれず。。
家庭科はどうだったかな?
編物も針仕事も好きで祖母に教えてもらいながらのちくちく作業はとても楽しいものでした。

改めて考えてみると父とはのこぎりや釘を使った工作、母や祖母からは縫い物や編物を教えてもらいました。
昔も忙しかったのだろうけれど、今とは時間の流れ方が少し違うよう。誰か身近な大人といつの間にか一緒に作ったのが最初なのかもしれません。
今は自分が子供と一緒に工作や絵を楽しんでやることができるだろうか。そんなことを思ったのでした。
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by kayos_handmade | 2010-11-22 13:15 | illustration

Christmas time

そろそろ町にクリスマスツリーがお目見えする時期になりました。
子供が通う保育園でも背丈ほどのツリーを飾っています。
昨年はクリスマスカードの納品がてら、丸ビルでものすごく大きなツリーを見て感激したのを覚えています。
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幼少の頃、家には小さなプラスチックのクリスマスツリーがありました。
母と一緒に色々な飾りを箱から出しては、包みを解いて木に吊るすのです。飾りは一つ一つが小箱に丁寧に納められていました。ツリーは枝が傘のように折り畳まれていました。手でぎゅっと引っ張って枝を少しずつ起こすと木らしくなっていきます。
最後に白い綿とてっぺんの星を飾るとできあがり。夜は色とりどりのランプが点滅してそれはそれはわくわくしたものでした。
家にはその他にも蝋燭をつけるとくるくる回りながらチリリンと音がなる、金属製の天使の飾りがありました。
それら全てが母の趣向だったのでしょうか。

クリスマスが何であるかも
どんな日なのかもよくわからずにいた子供の頃。
懐かしいツリーを今度は子供と飾ろうかな。
でもそれが何なのかはまだわからないだろうなあ。
そんなことを考えています。

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イラストは友人の期間限定カフェに置いてもらう予定のカードの下絵です。
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by kayos_handmade | 2010-11-17 12:49 | illustration

生きるということ その2 わたしとあなたとその向こう

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昨日テレビの画面に「我田引水」というフリップが出て、心の奥にずっと引っかかっていたのか、今朝になってふとまたその言葉を思い出しました。
言葉の意味は「自分の利益を優先する利己的な行為」。
何かそれに関わる出来事でもあったかな?と考えてみたところそういえば。
最近になって自分と相手、互いの間には必ず溝というか隔てるものがあるような気がしてならないのです。

隔てるもの、それは払うことはできないのか。そもそも払う必要がないのか。
隔てるものがあってこそ他人を思いやる気持ちができるのか。
それは「共有する」ということとどう関わってくるのか。
疑問が次々と。

親と子、妻と夫、恋人、友人、隣人、見知らぬ他人(でも顔を時々合わせる)。
関係が遠ざかるほど境壁が厚くなる。
けれど関わる限りは何かを共有している。
それは日常生活だったり、同じ道を通るという些細な出来事だったり。
相手に何らかの形で関わる以上、相手を思う気持ちが生まれ、境界は曖昧になる。
どこまでが許容量でどこからが甘えなのか。
それがわからずにいる予期せぬことが起こったり。

人と人。
未だにその距離感が難しいのです。
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by kayos_handmade | 2010-11-10 12:27 | illustration

混沌とした世界

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今、私の仕事場の机上はありえないくらいの散らかりようで、とてもとてもゆっくり考え事をするなんて信じられないくらいの有様です。
さっきAppleに電話してリカバリーした何年も使っているiPod、コーヒーカップ、絵筆やペン類。本。
そしてノートの上でキーボード叩いています。
そんな中でふと思いついた新しい絵柄はやはり混沌としているような。聴いている音楽がちょっと助長させているのかもしれないですね。

私の周りは仕事をしながら音楽を聴く人が少なくありません。
普通の職場ではありえないかもしれませんが、私が今まで働いてきた職場の80%は音楽またはラジオをかけていました。銘々が好きなCDを持ち寄り、お互いプチ批評などしたりして結構楽しいものでした。
自分の秘蔵盤を持って来たときなんかはかなりドキドキします。酷評にあうと一日中ショックですから。

今は一人、誰に遠慮するでも無く自分の好きな音楽をかけ、壁にはお気に入りのイラストや写真を貼ってのマイ・ワールド。
でもたまには「こいつ(の曲は)60年代ディランの焼増しだぜ」なんて暴言を聞きたくなるのです。
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by kayos_handmade | 2010-10-22 14:55 | illustration